7月27日に放送されたラジオ番組『木村拓哉のWhat’s up SMAP』(TOKYO FM)。番組内紹介されたメールの内容は、「自分はいじられキャラなのだが、いじられるのは嫌だ。すごく傷ついている」という深刻なものだった。これに対し、木村は真剣な口調でこう語り始めた。
「言葉を書いてみてもわかるけど、“いじり”と“いじめ”って一文字違いだし、紙一重だったりするんじゃないかな。相手が傷ついてたら、それはもういじめに片足をつっこんでるようなもんだよ。相手を傷つけているなら…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120803-00000003-pseven-ent
今、いじめという名前の暴行事件は、社会的な影響が強いですが、芸能界への影響も大きいです。デヴィ夫人が大変なことになっていたり。このニュースを読むと、木村拓也さんも、スマップで人気が出始めた時に、集団で暴力を受けた・・・ということがあったそうです。
芸能界の中で、いじめを乗り越えられた人の話というのは、彼らが芸能人という成功者であるので、気持ちの部分では、一歩引いてしまうというか、薄い壁があるように思えるのですが、でも、屈しなかった人の言葉は、一定の意味があるように思えます。
いじめ、と、いじり。今実際に起きていることを考えると、暴行が「いじめ」だったり、「いじめ」が「ふざけ」と表現されたり、また、「ケンカ」と表現されたり、「遊び」と表現されたり・・・。彼のいう「相手が傷付いていたら」というのは、やっぱり、その通りで、「いじめ問題」を扱う時の、指針になっていた気がするのですが・・・。
ニュースの中で、以下の彼の言葉が印象的でした。
「いまはいろいろ教育方針も制定されて、ぼくらが学生のときに当たり前に存在していた、悪いことしでかしたときの、教師の握りこぶしや平手打ちが、いまは存在しない。それによっていいこともあったのかもしれないけど、何かが失われた感じがするんだ」
体罰は、また、別の問題を生むような気がします。私は、一応、体罰を受けないできた世代なんですが、小学校の時に、私じゃあないですが、平手打ちの現場には立ち会った気がします。
暴力というのは、勿論、良くないと思うのですが、もしかしたら、中学生にとって、学校の先生が、全く脅威じゃあないということがあるなら・・・それが、彼のいう『失われた』モノじゃないかな?と思います。
暴力は勿論よくなくて、平手や握りこぶしは、私も嫌いなんですが・・・。例えば、柔道とか、合気道とかで、絶対的に逃げれない、叶わない状態にフォールドされるとか・・・考えたのですが。そんなことができる先生は、本当の一部ですよね。
暴力を肯定する訳じゃあないですが、木村拓也さんが言われていることは、共感を覚える部分もあります。