2012年8月30日木曜日

美輪明宏さん「いじめを見ている君へ」が良いと思う。

いじめ問題に関して、読んだこと。ちょっと前に記事のメモをしたのですが、忘れておりました。

ずいぶん前から言ってますが、いじめは犯罪(はんざい)です。やってることは脅迫(きょうはく)、暴行、傷害(しょうがい)、殺人。実態(じったい)をちゃんと表すために「いじめ」ではなく「犯罪」という言葉を使うべきです。

 そしてあなたがそれを黙認(もくにん)していると、加害者(かがいしゃ)は「やってもいいんだ」と正当化されたように感じます。黙(だま)ることは共犯(きょうはん)なんです。「犯罪者の共犯」。そう言われると重大に感じてギョッとするでしょう?
http://www.asahi.com/national/update/0807/TKY201208070720.html
いじめっ子に立ち向かうのは怖(こわ)い? みんなでやれば怖くなんかありません。だっていじめっ子の方が数が少ないんだから。私は実際、小学生のときにそうしてやりました。

 クラスにいじめっ子が4人いたんです。弱い子の机をひっくり返したり殴(なぐ)ったり蹴(け)ったり。私は、やられている子たちを集めて「みんなでやっつけよう」と言いました。男女20人以上集まりました。帰り道に神社の境内(けいだい)で待ち伏せて、みんなで一斉(いっせい)にかかって、こてんぱんにやっつけました。

 

はてなブックマーク - 朝日新聞デジタル:《いじめを見ている君へ》美輪明宏さん - 社会」ここに集まっている意見を読むと、肯定的なモノもあれば、否定的な意見があったのですが、私は、かねがね、肯定的に思いました。

 

まず、「いじめ」じゃあなくて、暴行、傷害、殺人・・・というのは、納得ができる部分です。

 

「みんなでやっつけよう」というのも、難しいように思えるのですが、もし、それが可能であれば・・・と思いました。いや、教室の中の人間関係、社会の人間関係を考えると、そこが難しいとも思えるのですが…。

 

もしも、いじめが起きた時に、教師も教委も役に立たないなら・・・子ども達の力だけで排除できたら・・・それは、良いことだな、と思いました。

 

今の社会は、そうじゃないと思うのですが、「そうなる」ために必要なことを考えてみるのも良いのじゃないか?と思いました。

2012年8月24日金曜日

大津市いじめ暴行加害者は担任の女性教諭を「脇腹や顔などを計10回、殴ったり蹴ったりした」けど故意じゃあなかったそうです。

以下のニュースを読みました。大津市いじめ暴行事件の加害者が担任の女性教諭にも、指を骨折させていた・・・の続報です。

学校の体育館で翌日に控えた修学旅行の事前指導が行われていたさなか、同級生が急に立ち上がり、帰宅すると言って暴れた。更衣室に向かい、追い掛けて止めようとした担任の女性教諭を蹴ったという。

 担任が足を左手で止めようとして小指を骨折。同級生はその後も止められるまで脇腹や顔などを計10回、殴ったり蹴ったりした。市教委は当初、取材に対し、小指骨折は暴れていた男子生徒の足が偶然当たったためで、「担任を狙ったのでなく、故意ではなかった」などとしていた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120824-OYT1T00174.htm

「同級生はその後も止められるまで脇腹や顔などを計10回、殴ったり蹴ったりした。」を故意ではなかった・・・というのは、どういうことなのだろうか???

 

なんというか、ひどい言い方をすれば、完璧にキチガイの暴力者だと思うのだけど、中学校にいるってだけで社会から排除されないのか?こんな乱暴者は警察に送れば良いのじゃないか?と思った。しかし、そこまでして庇う必要があるのか?と思ったのだけど・・・。

 

よく考えたら、加害者がどうこうじゃなくて、こういう事件があったことが、学校としては不祥事にあたるから、隠蔽をする訳か。でも、滋賀県のイメージで、もう、教育関係者に過度な期待はしなくなったから・・・。

 

隠蔽するくらいなら、すぐに警察沙汰にして、社会から隔離した方が良いのじゃないかな。

 

滋賀県は、全国の中で特殊なんだろうか。それとも、この学校だけなのか?偶然、暴力者がいたのか?世の中が、とても、怖くなってきた。

2012年8月23日木曜日

大津市いじめ暴行加害者が転校後に暴行事件を起こし傷害容疑で書類送検されていた。

以下のニュースを読みました。

大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が自殺した問題で、いじめの加害者とされる生徒の1人が、京都府内で別の中学生に暴行してけがを負わせたとしたとして、京都地検が傷害の非行事実で京都家裁に送致していたことが21日、分かった。

 被害者の中学生側は「殴られたうえ、かばんを燃やされたり、文房具を捨てられたりした」と訴えたといい、今年7月に府警に被害届を提出。府警が生徒から任意で事情を聴き、傷害容疑で書類送検していた。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120821/waf12082111540008-n1.htm

多分この辺りにからめると、バッキバキにブログが炎上するように思えるのですが・・・。

 

良心の異常な欠如
他者に対する冷淡さや共感のなさ
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が全く無い
過大な自尊心で自己中心的
口達者
精神病質 - Wikipedia

 

一般的な道徳観念等々から考えたら、私は、確実に病気だと思えるのだけど、どうなのだろうか。はたまた、それを病気だとしなくても、人を死においやったと思える行動を、再び行える、その精神、内面は、矯正、あるいは、更生しないとダメなのじゃないだろうか?

 

このまま行くと、加害少年は、少年法の外にいった時に、もっと、ひどい犯罪をするのじゃないか?と思える。

 

人間のありようは様々で、色んな人間がいて当然だと思うのだけど、一つの社会で生きている以上は、再犯にいたる部分は、なんらかの処置が必要なのじゃないだろうか?

 

いじめ、暴行で、人の死に関わって、なのに、また同じ事を繰り返す加害者は、徹底的に社会から隔離した方が良いと思った。今は、そういう機能はないけれど、例えば、お寺で修行をするとか、そういう宗教性もあっても良いのじゃないか?と思えるレベルだと思った。

 

しかし、この内容は、写真週刊誌が、もっと前に報道していたことだったが・・・ウソじゃあなくて、事実だったんだな・・・。ある程度、信頼できる情報ソースなのかも知れない。

2012年8月21日火曜日

仙台市私立高校根性焼き事件・被害者は「俺もやってみる」「星形に焼いてくれ」「熱くねえ、ここにやって」と根性焼きを要請したた弁護士が公開。

以下のニュースを読みました。

仙台市の私立高校の男子生徒(16)が「同級生にいじめられた」として仙台東署に傷害容疑などで被害届を出した問題で、たばこを腕に押しつける「根性焼き」をしたとされる元生徒の少年=自主退学=の代理人弁護士が20日、「(根性焼きは)要請を受けてやったもので、傷害罪は成立しない」との意見書を同署に出し、報道陣に公開した。

 男子生徒は「無理やりたばこを押しつけられた」と訴えている。意見書で代理人は、少年が5月25日、自分の左腕に4カ所の根性焼きを入れたところ、被害届を出した男子生徒が「俺もやってみる」と言い出したと説明。3日後、少年は「星形に焼いてくれ」「熱くねえ、ここにやって」と求められるまま男子生徒に根性焼きをしたと主張している。
http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY201208200396.html

まぁ。インターネットでは、ガンガンに校名がわれているのに、まだ、私立高校と語られる不思議。

 

まぁ。それは、ともかくとして、なんでも弁護するのが、弁護士なんだなーと思いました。ムチャがありすぎる。しかしながら、もしも、被害者が根性焼きを「要請」していたら、それは、「傷害罪」にはならない…なんてのを聞きました。SMとかも、合意があれば、傷害罪にはならないみたいなモノだ。

 

もしも、要請していたとしたら、何故、被害者は、根性焼きのことを表明したのか?要請することで、加害者達をだましうちしたかったのか?

 

私の想像では、最初の1回、ないし、数回までガマンして、途中でギブアップして、その後、加害者達が押さえつけて…という方が想像がしやすいですが・・・。

 

まぁ、素人の想像なので、なんの根拠もないのですが…。

 

裁判が、そのように向かっていくか分からんですが…。非常に、ややこしいことが起きているな、と思いました。最終的に、どこに落ち着くかが、非常に気になります。

2012年8月15日水曜日

放射農と「放射能で汚染された農作物」を略す暴力性に関して(個人的な見解)。

 

この辺りのツイートが原因で、男前豆腐店のツイッターはちょっと炎上したみたいです。これは、私の超個人的な見解で、また、小学生ぐらいの時から、ずっと考えている事なのですが、本人にそのつもりがなくても、『名称を略する』ということには、常に『暴力性』があると思います。勿論、愛称とかの意味合いもあるのですが、本来の名称を言いやすいように自分勝手に略したり、簡単に言うことは、おこがましいことだと思っています。

 

また、その多くの場合は、何かをバカにした意味合いや、適当に扱っているニュアンスが自然と含まれると思います。私が、そう考え続けてきたのは、小学校時代の体験からです。以下のような「障害児」のことを「がいじ」と略して呼ぶことが、小学生の時に、心を悩ませた部分でした。

障害児のことを「がいじ」と言います。昔はそう言っていたのですが差別用語なので言ってはいけません。障害児(者)を傷つけることはいけないし、障害児(者)の気持ちを考えなくてはなりません。
中学校の息子が学校で、同級生に「がいじ、がいじ」と言われ悩んでるのですが、何か良... - Yahoo!知恵袋

一般的かどうか判りませんが、関西圏(特に大阪に近い地域)の 主に若い子が使う障害者(児)への蔑称です。 いじ=障害児 ようご=養護学校(今の支援学校)の意味です。

「がいじ」にはそれこそ肢体障害から知的障害まで含めた、 「ようご」は知的障害者への差別・蔑称で公式な呼称ではありませんし 私が知っているだけで20年位前にはもう存在していた言葉です。


私の友達は、知的障害者を 『がいじ』と呼びます。 私は差別用語に聞こえますが、 ... - Yahoo!知恵袋

 

この言葉は、ウィキペディアなどには書かれない、かなりローカルなモノですが、確かに、存在していました。近所の子どもは、小学校の時に使っていて、20歳を超えても使い続けているのが、ショックでした。

 

本人の意図とか、良い・悪いに関係なく、私は、『略称』自体のイメージ、原風景が、この差別的な言葉にあるので、スマートフォンを『スマホ』というのも、『アプリケーション』を『アプリ』というのも、根本的には嫌いです。許せないレベルじゃあないですが。

 

なので、私は、食品会社の人が、瓦礫の広域処理に反対される部分は否定しません。私も、広域処理は「本当に必要なのか?」という疑問を持っています。しかし、『放射能に汚染された農作物を略して放射農』というのは、前述の通り、嫌な気持ちになりました。真意がどうであれ、私の中では、適当な、粗雑な言葉の使い方で、世の中を煽る、炎上が起きるだけで、瓦礫問題の本質からは、外れた部分で、誰かを嫌な気持ちにさせるモノだと思いました。

 

事実、私が嫌な気持ちになっております。かなり、個人的なことなのですが、私の心の大事な部分に抵触したので、記事に書いてみました。

中川翔子さんの「いじめられている君へ」が素晴らしい。

以下の記事を読みました。中川翔子さんが、「いじめ問題」に関して語られた記事です。
私は趣味(しゅみ)の世界に救われた。いくら「オタク」って言われても、絵を描いたり、漫画(まんが)を読んだり、ゲームをしたりするのが好き。今はインターネットで仲間を作ることができる。学校の外にすてきな出会いがたくさん待ってるんだから、何か一つでも、楽しいことを見つけてほしい。

 人は、両親や祖父母、その先祖(せんぞ)らが出会って生まれた、いわば奇跡(きせき)のような存在。人生を邪魔(じゃま)する資格は、誰にもない。(なかがわ・しょうこ=タレント)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201208140480.html

ここに到るまでを読んでいると、彼女は、中学時代に「いじめ」を受けていても、芯の強い人だったんだな、と思いました。オンの子が、女の子をいじめるのであれば、暴力はともなわないだろう、と思うのですが、考えが甘いかも知れません。

 

彼女のマンガ関係の知識や、好きっぷりは、かねてから本物だと思っておりましたが、その背景を知ってしまいました。でも、世の中に好きな物があれば、生きて行く力になる…というのは、分かる気がします。私が、何かに絶望したときに、でも、せめて、好きなアニメが終るまでは…とか、考えたことがあるような気がします。

 

今は、アニメも見なくなりましたが、2011年に、何かに絶望していた時は、せめて、2012年の秋には、エヴァQがある、とか、考えたような気がしました。

 

引用部分の最後の言葉が、非常に良かったです。あまり、先祖や、親がいて、自分がいる…というのも、最近は、考えてない気がしますが・・・。ただ、「人生を邪魔する資格」というのは、考えられました。人と人が関わることで摩擦が起きたり、悪意の発生器のよな人もいますが、誰しも、誰からも、邪魔されない権利は持っているハズだ。と思いました。

 

 

彼女の記事が、多くの人に届いて欲しいと思い。記事を書きました。

澤村憲次教育長がハンマーで殴られる。さいたま市内の大学生(19)の犯行。

以下のニュースを読みました。
15日午前7時50分ごろ、大津市役所(同市御陵町)別館2階の市教育委員会教育長室で、同市の澤村憲次教育長(65)が、入ってきた男にいきなりハンマー(長さ約30センチ)で右側頭部を殴られた。澤村教育長は右目上を切る軽傷。市教委の男性職員が、男を取り押さえ、駆け付けた滋賀県警大津署員が殺人未遂容疑の現行犯で逮捕した。

 逮捕されたのは、さいたま市内の大学生の男(19)。同署によると、男は大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題を巡り「テレビやインターネットの報道を見て(澤村教育長が)真実を隠していると思い、許せないと思った」などと供述し、容疑を認めている。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120815/waf12081509520009-n1.htm
大津市役所の教育長室で澤村憲次教育長が男にハンマーで殴られた事件について、いじめ問題を調査するため市が設置する外部調査委員会の委員に決まっている教育評論家、尾木直樹法政大教授(臨床教育学)は、「大津市教委はこれまでいじめ問題で隠蔽に次ぐ隠蔽を重ね、教育長は責任逃れの発言を繰り返していた。国民は怒り心頭に発していて、いつか直接ぶつけるのではないかと思っていた」と話した。

 その上で、「もしかしたら容疑者はいじめられた過去があり、憎しみをぶつけたのかもしれない。行為自体は前代未聞で1%も許されることではないが、いじめ問題の市教委の対応は最悪で、犯行に至る下地になった可能性も考えなければならない」と、市教委の姿勢を改めて批判した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120815/waf12081510430010-n1.htm

尾木直樹さんのコメントは、URLにアクセスしても、既に、引用部後半がさしかわっております。

 

昼頃に、別件でニュースを調べていて、このニュースのヘッドラインを読んでビックリしました。もう、来るところまで、来てしまったのかな、と思いました。暴力では何も解決しない…という典型だと思いますが、滋賀県から遠く離れた、さいたま市内の大学生が犯行に到るのは・・・。

 

おそらく、テレビやインターネットによる報道の部分が大きいと思います。最近は、「はてな」のトップエントリをみていても、「いじめ」の話題は、少ない目になっていましたが、ちょっと前は、そんな話題ばかりでていました。私も、HTBをしていたので、その一役を担っていた訳ですが・・・。

 

また、2ちゃんねるや、2ちゃんねる転載ブログでも、同様の現象だったのじゃないか?と想像します。このことに関しては、やはり、マスコミ、テレビ、ネットの影響が大きいのじゃないか?と思えました。

 

もう、「抑止力」なんて言葉は使いませんが、社会から怒りを買うようなことをすると、インターネットなどを通じて、怒りが増幅して、見知らぬ他人から暴力を浴びせられる例になってしまったと思います。かなり稀有な例かも知れませんが、もしかしたら、そういう危機意識は必要なのじゃないか?と思いました。

 

また、大津市の事件で、波紋が広がってしまいました。連鎖するのじゃないか、と、心配になりました。

2012年8月13日月曜日

全教滋賀教職員組合などが主催の、「いじめは犯罪か」などを考える教育シンポジウムが開催されたそうです。いじめは、犯罪で良いと思います。

以下のニュースを読みました。

大津市立中学2年の男子生徒の自殺問題を巡り、いじめや自殺について考える教育シンポジウムが12日、大津市打出浜の市勤労福祉センターで開かれ、教職員や保護者ら計約160人が参加、「いじめは犯罪か」について議論が白熱した。

 全教滋賀教職員組合などが主催。福井雅英・北海道教育大教授をコーディネーターに中学教諭や保護者、弁護士らが意見交換した。

 中学教諭は「いじめイコール犯罪とすると、子どもや教員が萎縮するのではないか」と発言。これに対し、「強い者が弱い者をいじめるのは犯罪だ」「いじめを犯罪ととらえることが重要で、前科がつかないレベルで対処すればいい」など反対意見が相次いだ。

 一方、「すべて犯罪と呼ぶのは乱暴」「いじめとは何かを考える必要がある」などの意見もあった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120813-OYT1T00542.htm

私は、犯罪で良いと思います。試しに、犯罪をインターネットで調べてみると。

犯罪(はんざい、英語: Crime)とは、一般には、法によって禁じられ刑罰が科される根拠となる事実・行為をいうが、それぞれの学問分野においては、より実質的な定義がなされることもある。刑法学上は犯罪を「構成要件に該当し違法かつ有責な行為」と定義することが多い。
犯罪 - Wikipedia

こんな感じです。まぁ、だから、「いじめ」の中には「犯罪」と「犯罪じゃない」、いじめがある…というのが、正確な解釈だと思うのですが、では、罪に問われないのなら、「いじめ」は良いのか?ということになると思います。

 

勿論、法律による罰、刑事罰以外でも、社会的な制裁というのはあると思えますが、結局のところ、被害届を出して受理されれば「犯罪」となるようなことも、出来てないのが現状だと思うのです。そして、多くの場合、学校や、社会や、家庭に抑止・抑制の力がないことも、問題だと思うのです。

 

では、いじめは犯罪か?と考えた時に、もう、「いじめは犯罪」とした方が、私はスッキリすると思うのです。例えば、いやがらせ、性的嫌がらせ、セクハラなどなども、「犯罪じゃない」領域があることで、野放しになっている部分もあると思うのです。

 

実際に、警察が出動する、被害届を出す、裁判になる…というのは別問題として、抑止・抑制の意味で、「いじめは犯罪」と思って取り組んだ方が良いと思いました。

 

ところでHTBCにも書かれていたのですが、「萎縮する」って、どんな先生と生徒が、どんな理由で「萎縮する」のでしょうね?萎縮するなら、萎縮した方が良いように思える人もいますが???

2012年8月11日土曜日

消費税が増税されるなら節約を頑張ろうかな。

以下の記事を読みました。昨日知ったことの続報かな。

消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法案が参院本会議を民主・自民・公明の賛成多数で可決、成立したことを受け、野田佳彦首相は2012年8月10日夕方、首相官邸で会見した。

 野田首相は会見冒頭、増税が09年衆院総選挙時のマニフェストに記載されていなかったことを「深くお詫びしたい」と陳謝する一方、「打ち出の小槌のように、どこかからお金がわいてくるわけではない」と法案の意義を改めて強調。法案成立後「近いうちに信を問う」と自民・公明と合意した件については、これまで通りコメントを避けた。
http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=1275141

ふーむ。まぁ、なんだか、知らない間に、決まった感じがありますね。大津市いじめ暴行事件への憤怒も、ロンドンオリンピックへの歓喜も、原発や原子力に関する憂いも、全部、薙ぎ払われた感じが。非常に、政治のことを考えるのが、バカらしくなった。

 

まぁ、確かに、税金は、どこからかわいてくる訳じゃあないですが。事業仕分けとかはどうなったんだろう?お金は確かに、涌いてこないけど、無駄遣いをしなければ、減るのは少なくなる訳で。後は、逆進性とか、そんなんもあるけど、企業とかからは無理なのかな?法人税とかをあげると、政治献金とかに関わってくる?なんか、日本の金持ちは、社会への貢献とか、多く税金を納めるの嫌いみたいだし。

 

なんというか、もう、政治に期待できないし、個人的に節約することを本気で考えた方が良いように思える。例えば、何ができるかな。大体計算してみると、最終的に10%になるなら、10万円あたり、9600円くらい節約すれば、5%の時のタイになるみたいだ。

 

ふーん。私は独身だから、よく分からないけど、月20万円くらい消費すると、ざっくり考えると、月に2万円くらい浮かしたら良い訳か・・・。お酒を減らすとか、食べる物を減らすとか、節電するとか、節水するとか?例えば、食器洗い機とかを買うなら、今の方が良いかもな。節水効果とか、消費税が上がった後に、出続けるだろう。

 

だから、家電等々も、今のうちに買った方が良いのだろうけど・・・。多分、それができない層は・・・ばっきばきにされるのだろうな。もう決まったことって撤回できないのかね。原子力のこととかとあわせて、結構、限界が来ていると思うのだけど???

2012年8月10日金曜日

大津市いじめ暴行加害者が担任の女性教諭の手の指の骨を折っていたそうです。

以下のニュースを読みました。

大津市の中2男子自殺で、いじめの加害者とされる同級生3人のうちの1人が、今年5月、担任の女性教諭に暴行し、手の指の骨を折るけがをさせていたことが9日、捜査関係者などへの取材で分かった。

 滋賀県警が7月、中学校などを家宅捜索して押収した資料のほか、学校関係者への聞き取りで明らかになった。学校側は県警に事件の相談はしなかったが、県警は今後、学校側に被害届の提出を求め、傷害事件として捜査する方針。
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012080901002932.html

うーむ。学校の中で、生徒と先生の間柄に起きる怪我って、どれくらいからが、傷害とか考えるべきなのか。

 

指の骨が折れる・・・と言っても、程度の問題はあるだろうし。折れ方とかもあるだろうし。

 

多分、何か怪我とか、傷害があれば、すぐに被害届・・・という訳にはいかないのだろうけど、実際に、いじめ暴行を行っていた少年を、まだ、守る必要があったのだろうか。

 

指の骨折が、どれくらいのモノか分からないけど、色々なモノが積み重なっている感じがする。実際に、裁判等々がどうなるかは分からないけど・・・。ちゃんと、更生されるまで、社会から隔離された方が良いと思った。

2012年8月8日水曜日

橋本徹市長「いじめの加害者となった児童・生徒を転校させる権限」を市教委に要請。それに思うこと。

以下のニュースを読みました。

大阪市の橋下徹市長は7日、市教育委員会との意見交換会の席で、いじめ対策として「いじめた側の子どもは学校を移すという方針を打ち出してはどうか」と述べ、いじめの加害者となった児童・生徒を転校させる権限を学校に与える制度を検討するよう要請した。
http://www.asahi.com/national/update/0807/OSK201208070109.html

ふーむ。私は、結構、良い事なのじゃないかな?と思いました。少なくとも、いじめ、暴行を行うと、「転校させられる」リスクがああるというのは、抑止効果があるのじゃないか?と思いました。私が、彼のことを、どう思っているかは、ブログを通じて、伝わっていることだと思いますが。

 

ですが、転校を受け入れる側は、どう思うだろうとか?そんなことも思ったので、HTBCも確認してみました。そうすると、色々な意見がありましたが、特に、考えさせられたのが、以下です。

 

いじめの問題は、加害者・被害者が入れ替わったり等々あり。そういった困難さを理解しているの?


はてなブックマーク - 朝日新聞デジタル:「いじめた子は転校」橋下市長、市教委に検討を要請 - 社会

 

そうこの問題。仮に、加害者が転校したら、その先で「いじめ」にあう・・・という可能性はあるように思えます。私には、その観点が足りてなかったように思えます。

 

しかしながら、私が知る範囲では、「いじめをしていたことが原因でいじめられ自殺した」人の例を聞いたことがありませんので、それが転校じゃなくても、空間的に隔離する、加害者の方が、そのリスクを負う、という部分は、ある程度、納得のできる部分だと思いました。

2012年8月5日日曜日

西原理恵子先生の「いじめられている君へ」の少年兵士の残酷さから考える。

はれた日は学校をやすんで (双葉文庫)

昨今のいじめ問題に関して、書かれたコラムの一説です。

大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。生前(せいぜん)にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけど、戦場の理屈(りくつ)だと、そうなんだって。

 いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201208040635.html

おそらく、戦場と社会、いじめ・暴行の加害者と、少年兵を比較することは、論理の飛躍のように思えるのですが、ただ、共通している部分もあるように思えます。仮に日本が銃社会であった時、中学生が、銃に触れる確率が、いまよりも高かったときに、いじめに銃は使われるか?と想像したら、威嚇や恫喝に使われる可能性はあるのじゃないか?と思えます。

 

ただ、本能か才能か、かなり、狡猾に自殺に追い込むようなことは起きても、暴行殺人(となったら「いじめ」じゃなくなりますが)というようなことは、あまり聞かないので、銃で殺す・・・というのは起きないのかも知れない。

 

武器・・・と考えた時に、例えば、記録と発信と携帯ができる、携帯電話とかは、現代の武器のように思えます。インターネットを含めて、相手の人生にダメージを与えることも出来ますし、恥かしいシーンとかを記録して、恐喝等々の材料にできるでしょう。そんな武器を、皆が持っていて・・・大人も使っているような気がしますが、例えば、中学生が小学生を集団で暴行して、それを動画サイトにアップする・・・というようなことは、もしかしたら、引用した「少年兵」に繋がるような気がしました。

 

ただ、インターネットは、必ずしも一般知識と言えない部分があるので、大人でもその「重大さ」に気付いていないのかも知れませんが…それを武器として使う中学生は、本当によく分かってないのかも知れない。

 

大人も、子どもも、残酷な人は、残酷で、そうじゃない人は、そうじゃないのかも知れませんが・・・もしかしたら、西原先生の言われるような、少年兵的なことが、身の回りで起きているのじゃないか?と思えました。銃ほど分かりやすくないだけで、武器がゴロゴロしている。武器の存在が、人の凶暴性を増す・・・なんて話も聞いたことがあります。

2012年8月4日土曜日

木村拓哉さん「いじめ」についてラジオで語られる(木村拓哉のWhat’s up SMAP)

7月27日に放送されたラジオ番組『木村拓哉のWhat’s up SMAP』(TOKYO FM)。番組内紹介されたメールの内容は、「自分はいじられキャラなのだが、いじられるのは嫌だ。すごく傷ついている」という深刻なものだった。これに対し、木村は真剣な口調でこう語り始めた。

「言葉を書いてみてもわかるけど、“いじり”と“いじめ”って一文字違いだし、紙一重だったりするんじゃないかな。相手が傷ついてたら、それはもういじめに片足をつっこんでるようなもんだよ。相手を傷つけているなら…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120803-00000003-pseven-ent

今、いじめという名前の暴行事件は、社会的な影響が強いですが、芸能界への影響も大きいです。デヴィ夫人が大変なことになっていたり。このニュースを読むと、木村拓也さんも、スマップで人気が出始めた時に、集団で暴力を受けた・・・ということがあったそうです。

 

芸能界の中で、いじめを乗り越えられた人の話というのは、彼らが芸能人という成功者であるので、気持ちの部分では、一歩引いてしまうというか、薄い壁があるように思えるのですが、でも、屈しなかった人の言葉は、一定の意味があるように思えます。

 

いじめ、と、いじり。今実際に起きていることを考えると、暴行が「いじめ」だったり、「いじめ」が「ふざけ」と表現されたり、また、「ケンカ」と表現されたり、「遊び」と表現されたり・・・。彼のいう「相手が傷付いていたら」というのは、やっぱり、その通りで、「いじめ問題」を扱う時の、指針になっていた気がするのですが・・・。

 

ニュースの中で、以下の彼の言葉が印象的でした。

 

「いまはいろいろ教育方針も制定されて、ぼくらが学生のときに当たり前に存在していた、悪いことしでかしたときの、教師の握りこぶしや平手打ちが、いまは存在しない。それによっていいこともあったのかもしれないけど、何かが失われた感じがするんだ」

 

体罰は、また、別の問題を生むような気がします。私は、一応、体罰を受けないできた世代なんですが、小学校の時に、私じゃあないですが、平手打ちの現場には立ち会った気がします。

 

暴力というのは、勿論、良くないと思うのですが、もしかしたら、中学生にとって、学校の先生が、全く脅威じゃあないということがあるなら・・・それが、彼のいう『失われた』モノじゃないかな?と思います。

 

暴力は勿論よくなくて、平手や握りこぶしは、私も嫌いなんですが・・・。例えば、柔道とか、合気道とかで、絶対的に逃げれない、叶わない状態にフォールドされるとか・・・考えたのですが。そんなことができる先生は、本当の一部ですよね。

 

暴力を肯定する訳じゃあないですが、木村拓也さんが言われていることは、共感を覚える部分もあります。

2012年8月1日水曜日

大津市いじめ暴行事件の加害者実名さらしの抑止力という考え方に関して。

インターネットの実名晒しを抑止力と考えた…私もおりました。
ライブドアのネットリサーチで「いじめ加害者の実名晒す行為は違法だと思う?」という質問がされ、「思わない」が84.4%、「思う」が15.6%となった。

 この判断をするにあたり、提示されたのはBLOGOSに掲載された「大津市の中学校で起きたいじめの加害者の実名をさらす行為は違法性があるのか 」という記事だ。この記事では弁護士が名誉棄損罪が成立し、損害賠償責任を負う可能性について言及した。記事執筆者は「違法性はあるが、再調査の実現に繋がったと見る向きも」という問題提起をしたうえで投票が開始したわけだが、「思わない」が84.4%で、あまりにもひどいいじめの場合、名前が出るのもやむなし、と考える人が多いようである。
http://yukan-news.ameba.jp/20120729-74/
【定型文】 私は、小学校、中学校の時に、いじめの加害者にもなり、被害者にもなりました。加害の部分は、女子への容姿などを理由にした悪口や陰口などです。被害の部分は、小学校の時は暴力などです。1対多数になったことはないです。中学の時は、サブカル嗜好や運動面が劣っていることでバカにされたり暴力を受けたりしました。仲間はいました。

大学院の時は、修了に絶望して、自殺しそうになったことがあります。結果、留年を交えて、修了はしました。社会人の時にも、色々ありました。

この文章は、「いじめ」問題を語る時に、定型文として使っております。記事にしている問題に関する、私の背景を知ってもらうためです。理由のない興味本位じゃあないことを知ってもらうためです。

この定型文もよく使っているので、表現を変えたくなってきましたが。

 

私は、大津市での事件が再加熱していた頃に、実名さらしに関して、「これは、今後の抑止力になるのでは?」と考えておりましたが、結局、関係のない人まで巻き込んだ、実名さらしだったので、肯定的な意味での「抑止力」ということは、考えないことにしました。

 

「抑止力」という言葉自体、自衛隊は抑止力とか、核武装は抑止力、という使い方もされるので、前向きな言葉かは分からないですが・・・。

 

で、違法かどうか?で言えば、名誉毀損につながる訳で、「違法」だと思います。間違ったことだと思います。でも、「やむなし」じゃあないと思いますが、インターネット関係の法律が変わって、名誉毀損が非親告罪化しない限りは、多分、止まないのじゃないか?と思えます。巻き込まれた人は別ですが、加害者が、親告するとは、考えにくいです。

 

なので私は、たぶん、今後もなくならない・・・ということから、「抑止力」じゃあなくて、「脅威」と捉えることにしました。それがいじめじゃあなくても、社会的な悪。特に、人の感情を刺激することを行ったら、本人のニュースや、実名は、インターネットに留まり、続け、そして、人生の一面は封じられてしまうと思います。就職とか、しにくいでしょう。

 

その起こりうる脅威を伝えていくことが、抑止力じゃないですが、法律等々とは別の、罰というか、重大なダメージを与えることを、今後、伝えていくことが大事だと思います。なかなか、人間の悪の性を前提としたことを、義務教育で教えるのは、難しそうですが・・・。

 

ただ、結局、いじめ、暴行、恐喝等々は、その辺りの引き算的な考え方が出来ない人が起こすと思うので、全てを失くすことは、かなり、難しいと思いますが・・・。