いじめ問題に関して、読んだこと。ちょっと前に記事のメモをしたのですが、忘れておりました。
ずいぶん前から言ってますが、いじめは犯罪(はんざい)です。やってることは脅迫(きょうはく)、暴行、傷害(しょうがい)、殺人。実態(じったい)をちゃんと表すために「いじめ」ではなく「犯罪」という言葉を使うべきです。
そしてあなたがそれを黙認(もくにん)していると、加害者(かがいしゃ)は「やってもいいんだ」と正当化されたように感じます。黙(だま)ることは共犯(きょうはん)なんです。「犯罪者の共犯」。そう言われると重大に感じてギョッとするでしょう?
http://www.asahi.com/national/update/0807/TKY201208070720.html
いじめっ子に立ち向かうのは怖(こわ)い? みんなでやれば怖くなんかありません。だっていじめっ子の方が数が少ないんだから。私は実際、小学生のときにそうしてやりました。
クラスにいじめっ子が4人いたんです。弱い子の机をひっくり返したり殴(なぐ)ったり蹴(け)ったり。私は、やられている子たちを集めて「みんなでやっつけよう」と言いました。男女20人以上集まりました。帰り道に神社の境内(けいだい)で待ち伏せて、みんなで一斉(いっせい)にかかって、こてんぱんにやっつけました。
「はてなブックマーク - 朝日新聞デジタル:《いじめを見ている君へ》美輪明宏さん - 社会」ここに集まっている意見を読むと、肯定的なモノもあれば、否定的な意見があったのですが、私は、かねがね、肯定的に思いました。
まず、「いじめ」じゃあなくて、暴行、傷害、殺人・・・というのは、納得ができる部分です。
「みんなでやっつけよう」というのも、難しいように思えるのですが、もし、それが可能であれば・・・と思いました。いや、教室の中の人間関係、社会の人間関係を考えると、そこが難しいとも思えるのですが…。
もしも、いじめが起きた時に、教師も教委も役に立たないなら・・・子ども達の力だけで排除できたら・・・それは、良いことだな、と思いました。
今の社会は、そうじゃないと思うのですが、「そうなる」ために必要なことを考えてみるのも良いのじゃないか?と思いました。