維新の会の「政治主導」にも、危うさがうかがえる。八策では衆院議員を現在の半分、二百四十人に減らすとしている。八策は参院廃止の検討も掲げ、最終的に国会議員は衆院の二百四十人だけでいいとも読める。
この削減幅は現実離れしているとの指摘が多い。二百四十人の半分、百二十人が与党とする。現在、与党から政務官、首相補佐官を含め七十四人が政府に入っている。この人数を確保すると、残る与党議員は四、五十人。現在、三十近くある国会の委員会で法案審議し、野党と折衝するのは難しくなる。国会に人材を回すと、政府の人数が減りかねない。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012092390065938.html
なんか、最近、『維新』という言葉が、嫌な言葉に思えてきたので、『維新』という言葉を調べてみたり。
維新(いしん)は、「変革」の意味を持つ語句である。和訓では「これあらた」と読む。
日本では天保元年(1830年)、水戸藩の藤田東湖が藩政改革への決意を述べる際に、『詩経』「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」を引用して用いたのが最古とされている。維新 - Wikipedia
うーん。まぁ、そんなに禍々しい言葉な訳でもなく、結局、言葉じゃなくて、人が嫌いなんだと思うけど・・・。引用部分を読んで思ったのは、議員の数を減らしたら、そりゃ、給料が減ったり色々とあるろうけど、自然と、消滅する野党が出てくるのじゃないかな。今の議員数がどのようにして決まったのか分からないけど、今の比率のまま、各党の議員が半減するとは思えないし。
半数にするなら、選挙区の統廃合とか進むのだろうけど、そうなると、一票の格差が広がる気がするのだけど。勿論、半減して、良い方向に進むモノもあるのかも知れないけど、私のイメージでは、歯止めの利かない、一党独裁のような状態になって、バッキバキになるのじゃないか?と思うのだけど。
後、純粋に思うのは、テレビを観ていて、大阪市民の人がインタビューに答えたりしているけど、そもそも、市長が市の仕事以外に首を突っ込みまくっているのは、どうなのだろうか?『選択と集中』なんて言葉があるけど、市長とか、府知事とかは、先ず、やはり、市とか、府を選択して、集中するのが大事だと思うのだけど・・・。
もっとも私は、亀岡市長が、市の仕事以外に、どういう活動をしているか知らないから、案外、そんなモノかも知れないけど・・・。なんか、その辺りが気になる。京都市長も、京都府知事も、あんまり、テレビに出てこないけど、国政政党を作る!とか言ったら、府知事に関しては、「ちょっと待ってくださいよ!」と言いたくなるけど。
後、いいかげん夕方の報道番組は、大阪市長のことばかり取り上げすぎだと思う。1時間も見ていたら、お腹一杯になってしまう。この熱病みたいな状況は、いつまで続くのかしら。