以下のニュースを読みました。
2012年9月2日に自殺した兵庫県川西市内の県立高校2年の男子生徒がいじめを受けていた問題で、高校の校長が生徒の両親に対して「自殺ではなく、不慮の事故ということで生徒たちに説明したい」と打診していたことがわかった。
朝日新聞の報道などによると、校長は自殺翌日の3日昼頃、両親に「第2、第3の自殺者が出ないよう、自殺ではなく、不慮の事故にしたい」と電話で打診した。両親が断ったため、学校は3日の学年集会で「自ら命を絶った」と生徒に説明したという。
校長は自殺後初めて開かれた9月17日の会見で、「高校生は心に影響を受けやすい年頃なので、自殺というインパクトのある言葉ではなく、穏やかな表現にしたかった」などと説明した。
http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=1396276
ちょっと文章を中略したりすると、内容の印象が大きく変わる気がするので、あえて、全文引用してみます。
まぁ、滋賀県大津市に限らず、全国で起きている問題を考えれば、『隠蔽』と考えてしまいガチな部分なのですが、おそらく、生徒に説明の段階なので、教委とか、色んなところには、もう、既に、出ている事柄なのだと思います。それが翌日のことだとしても、流石に、死亡の原因までは、隠すことは出来ないでしょうから。
なので、「高校生は心に影響を受けやすい年頃なので、自殺というインパクトのある言葉ではなく、穏やかな表現にしたかった」という発言も、言葉通りの意味だと思うのですが、どうにも、気色悪い部分があります。
インパクトがあることは事実だと思うのですが、この場合、同じ学校で起きたことを知らせないで、救われるモノって何かな?ということです。恐らく、校長が事実と反することを言えば、学校の中でそれが話題となるのじゃないでしょうか。同じクラスの生徒とか、事情を知る人もいるでしょうし…。
そう思うと、仮に、本当のことを言わなくても、知らなかった人は、徐々に知っていくでしょうし、その時に、このご時勢で、校長が真実を隠した…と知った時、もっと、酷い感情がおきるのじゃないか、と思いました。
勿論、当事者の人々と、ニュースを読んでいる私では、考えること、感じることは違うのでしょうが…心がざわつくニュースでは、ありました。