2012年8月5日日曜日

西原理恵子先生の「いじめられている君へ」の少年兵士の残酷さから考える。

はれた日は学校をやすんで (双葉文庫)

昨今のいじめ問題に関して、書かれたコラムの一説です。

大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。生前(せいぜん)にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけど、戦場の理屈(りくつ)だと、そうなんだって。

 いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201208040635.html

おそらく、戦場と社会、いじめ・暴行の加害者と、少年兵を比較することは、論理の飛躍のように思えるのですが、ただ、共通している部分もあるように思えます。仮に日本が銃社会であった時、中学生が、銃に触れる確率が、いまよりも高かったときに、いじめに銃は使われるか?と想像したら、威嚇や恫喝に使われる可能性はあるのじゃないか?と思えます。

 

ただ、本能か才能か、かなり、狡猾に自殺に追い込むようなことは起きても、暴行殺人(となったら「いじめ」じゃなくなりますが)というようなことは、あまり聞かないので、銃で殺す・・・というのは起きないのかも知れない。

 

武器・・・と考えた時に、例えば、記録と発信と携帯ができる、携帯電話とかは、現代の武器のように思えます。インターネットを含めて、相手の人生にダメージを与えることも出来ますし、恥かしいシーンとかを記録して、恐喝等々の材料にできるでしょう。そんな武器を、皆が持っていて・・・大人も使っているような気がしますが、例えば、中学生が小学生を集団で暴行して、それを動画サイトにアップする・・・というようなことは、もしかしたら、引用した「少年兵」に繋がるような気がしました。

 

ただ、インターネットは、必ずしも一般知識と言えない部分があるので、大人でもその「重大さ」に気付いていないのかも知れませんが…それを武器として使う中学生は、本当によく分かってないのかも知れない。

 

大人も、子どもも、残酷な人は、残酷で、そうじゃない人は、そうじゃないのかも知れませんが・・・もしかしたら、西原先生の言われるような、少年兵的なことが、身の回りで起きているのじゃないか?と思えました。銃ほど分かりやすくないだけで、武器がゴロゴロしている。武器の存在が、人の凶暴性を増す・・・なんて話も聞いたことがあります。